先日ある記事を読んでいて思うところがあった。

「走り屋の聖地」危険走行次々と 評論家衝突死の現場

  


記事を読んでいただければ分かる方が多いと思う有名な道路。

ちなみに私は1回しか走ったことがないが両手・両足が躍動する楽しい道路である。


その事故について憶測がいろいろと飛び交っているが真相は分からない。


今の時代、車内のコンピュータを調べれば当時の時速など分かるかもしれないが。



世の中「走り屋」に対して冷たい視線があるのは確か。

その言葉そのものが悪いイメージを持たせてしまうのではないだろうか。

マフラーを交換したRX-7では見た目に走り屋と呼ばれ、暴走するプリウスは呼ばれない。



個人的には乗っているクルマや容姿で一括りにしたくない人間である。


金髪だって肌に墨を彫っていても、その人の本質は見た目だけではわからないはず。

今まで一度も法定速度をオーバーして走ったことがない人なんていないでしょ?


始業中の通学路を30km/h以下で走るにはメーターとにらめっこ状態になるしかない。



新聞に警察官や教師がスピード違反で捕まるなんていうニュースが載っても

最近では珍しくないよね。



「取り締まる側」や「人を教える側」という職業だから体裁が悪くなる。


今回の方が叩かれているのは一般人ではなく「自動車評論家」だったからだろう。



全てとは言い切れないがクルマが行き交う一般道では走り屋は総じて安全運転している。


交通量が少ない峠道で対向車が来たら当然スピードを落とす。

関係のない他車を巻き込まない信念を持って運転しているはず。


「事故っても誰にも迷惑をかけていない」なんていうドライバーは稀で

道路を塞いだりすれば相当数の人に迷惑をかけるのも分かっている。


個人的に前のクルマを煽ったりするのは割と普通の一般車の場合が多いと思う。


そういう光景を運転しながら見ていて思うのだが「よく人の運転を信用できるね~」と。


私にはとてもできない行為。


どんなレベルでどんな挙動をするのか想像できないしね。


運転に関してはあまり人を信用していない。



F1ドライバーは300km/h超でタイヤとタイヤが数cmという極限のバトルをするが

それは相手のスキルを知っているからこそできるもの。


ドライビング・スキルに関して法定速度内で事故りそうになった時に

助かる率が高いのは一般人より走り屋だろう。



ある程度クルマやタイヤの限界を知っているので、とっさの時にも反応が早い。


クルマを手に取るように操れる人は他車への被害を最小限にすることもできるはず。



雪道では法定速度内で真っ直ぐ走っていてもスピン状態に陥るのは多々あること。


そんな時にABSやESCに頼っているだけでいいのかな?


とっさの反応というのは日頃の積み重ねでできるもの。



限界走行なんていうのはクローズドコースでしかやれないが

一般人は馴染み深いところではない。



ならば定期的に自動車教習所で練習するしかないよね。

大量に水を撒いた路面でスピンを経験したり。


公道でやるから問題なだけで。



一般論だけでは成り立たないこの世の中。


誰もが法定速度内で走っても起きてしまうのが事故。


その事故の時に被害を最小限に抑えるには最終的に自分の腕だと思う。



走り屋を批判する前に自分のクルマをチェックしてみよう。

意外と灯火類が切れたまま走っているかもしれんぜ。

そういう整備不良車のほうが公道では法定速度内で走っていても危険なのだ。 


走り屋全体を擁護するわけではない。

一部は周りを気にせず本当に危険走行をするドライバーもいるだろう。

大半はクルマをイジっていても限界走行をするのはサーキットのみというドライバーだ。

公道で無茶すれば走り屋かもしれないがサーキットではそう呼ばない。


公道を安全に走るには一人ひとりの心がけ次第だよね。


スムーズな流れがお互いストレスを感じず一番事故率が低いのであれば

運転中、速度メーターを見ない選択もアリ。


たとえそれが法定速度をオーバーしていたとしても。


その中で一人でも「ルールを守って安全運転をしているんだ」というオーラを出しながら

ペースを乱すドライバーがいれば無理に抜かそうと試みる輩もいるはず。


ルールを守るのが正論だが世の中の秩序はそれだけでは成り立たない事柄もあるのだ。